相模原障害者施設殺傷事件に思うこと

皆さんは覚えていますか?-相模原障害者施設殺傷事件

そう言われて、あぁそんな悲惨な事件があったよなぁ・・・。
というのがほとんどではないかと思います。
とても衝撃的なあの事件、でも、なぜ衝撃的なんだろうか。

相模原障害者施設殺傷事件の内容

細かい内容についてはWikipediaを読んでいただくとして(面倒くさいからね・・・)
とても簡単に言えば、現代において危険な思想をもつ人が、精神障害者施設に踏み込んで、殺傷事件を起こしたという事件。

★どんな事情・思想があろうがなかろうが、殺傷するなんていけないに決まっている。

加害者の思想

  • 重度の障害者たちを生かすために莫大な費用がかかっている
  • 重度の障害者は安楽死させるべきだ
  • 意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させれば世界平和につながる

確かに重度の身体・心身障害者は、その人を生かすために莫大な費用がかかります。
(医療費だけで考えても透析患者は年に500万前後)
しかしそれが悪かどうかについて考えてみる。
自分の医療費は国と健康保険組合から出ている(自己負担は県によって違うが概ね月に1万円)、じゃぁ障害者だからといって保険料は払っていないのかといえば、Noである。払っています。
今元気な人も、人間なんて簡単なキッカケで重度障害者になる。
そうしたら、その人だって生きるに莫大な費用がかかる、
<別の考え方として>
医療の発展のせいで、生きられるようになった。
医療が発展し、その医療が保険治療の対象となり誰でも受けられる医療となると、その医療を選択しないことが必然となります。
当然、その治療を受けないなんて選択はさせてもらえない。(経験済み)
ですから
そもそも、その医療助成にしても年金にしても、最終的にどこに行くかといえば、医療機関であったり福祉機関であったり、そういった関係者はそのお金で生活が成り立っている。
じゃぁ、医療関係・福祉関係の人たちも加害者による制裁対象ということになる。

何らかの障害で年金を受けていたり、施設にいたりする人は社会に不要説なわけだけど、そもそもその人達も望んでその状態に有るわけでない、ということを考えられない所が加害者のおかしなところ。
最近の新生児医療の進化によって、本来死産となってしまっていた赤ちゃんまでも命が助かる現代。
でも、未熟児等の子の多くは障害を持っていく現実があります。
ここには、医療に対する倫理問題がついてまわる訳ですね。

罪を憎んで人を憎まず?

よく精神が云々だから無罪だとか、意味分かんない。
行為を行った人間が、その経験に基づく生活を今後していくことを考えれば、行為に対する正当なバツがあって当然だと思うわけです。
最近テレビで良く言われている、責任能力が有るかについてって聞くと、は?って思います。
だからといって、死刑が妥当とは思わない。
命の権利を同じ人間が決めるものではない。

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