人工透析の離脱を考える(辞めるとは死ぬこと)

絶対受けなければならない透析医療。

私が慢性糸球体腎炎の状態になったのが13歳の頃でした。

当時の医療では、腎臓病は遺伝しないという話があり、ちゃんと食事療法等の治療をしていけば、透析を免れるかも知れないとまで言われていました。

しかし、私は私の経験則から、腎臓病は悪化するだろうと思っていましたので、食事療法をかなり真面目に守ってきましたが、残念ながらその時は着実に訪れました。

腎機能の低下による高血圧・貧血・尿毒症等

具体的には・・・
尿が出にくくなり体が浮腫むようになりました。
貧血になって酸欠になるようになり、自宅の2階に上がる階段も必死に倒れないよう登っていました。そして食事が喉を通らなくなり、食事を見るだけで吐いていました。
その結果、半年で10キロほど痩せました。

そんな折、血液検査の評価が透析医療の基準に達し、人工透析をする時期となりました。

ドクターの悪魔の言葉

「そろそろ、透析を行うためのシャントを作りましょうか。」
 透析を行うには、動脈のような血流があって穿刺可能な血管が必要なため、動脈と静脈をバイパスする手術を受けるのです。

その言葉には、一切の選択肢はありませんでした。
(血液透析か腹膜透析かどちらかを選択するかの説明はありました。)

何故かと言えば、透析を行わないということは死を意味する事だから。
現代の医療において生きていく事が不可能である場合でのみ終末医療は有効であり、慢性腎不全は透析医療で人生を全う出来る可能性もあるわけですから、透析医療を受けない選択は無いという事でしょう。

苦しんで死ぬ

母が長い透析医療のあと苦しんで亡くなったので僕は知っているのです。
最後はとても苦しんで死んでいく可能性が高いということを。

新しい制度が欲しい

例えば、自分自身の身体で生きていけなくなった時に、苦しまずに終末を迎える事が出来るような、そんな制度があればと思うのです。
透析医療を受けていても、本人の意志で選択出来るべきでは無いのかと思うのです。
「生きていれば楽しいことも沢山あるよ。」
と言われます。

確かにそうだと思います。
ほんの僅かな幸せだけで、人は十分に生きていけるでしょう。
でも、あえて将来苦しむ事がわかっている事に対して、率先して対峙して行く必要が有るのでしょうか。まして、透析患者なんて30年生きたら1億位上のお金を使います・・・。

あなたはどう思いますか?

透析中止で死亡、病院「問題なし」 判断は正しかったか:朝日新聞デジタル (asahi.com)

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